
No.543 日本を元気にすること ― 森保ジャパンの強さ ③ ―
今週の一句
"長崎と 広島に残る 爪痕も スタジアムからの 声援届くや"
『サッカーを通じて、日本を元気にすることが出来ればと思います』と述べる森保一監督は1968年静岡県生まれ、小学校から高校まで長崎で育ちました。そして高校を卒業後は、広島のマツダサッカークラブ(現サンフレッチェ広島)に入団、5年目にはオフト日本代表監督に初召集されてボランチのポジションで活躍、1993年のドーハの悲劇を経験します。その後、選手としては京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)、ベガルタ仙台で活躍した後に2004年に引退を表明しました。
それからはサンフレッチェ広島でコーチを務め、2012年にはクラブ史上初の生え抜き監督に就任、新人監督としてJ1年間優勝を果たし、翌年には連覇、4年間で3度の優勝へと導きました。2017年に2020東京五輪代表を目指すU-24の監督就任、2018年ロシアW杯*終了後には日本A代表監督就任。2022年カタールW杯で、ドイツ、スペインを破っての決勝トーナメント進出を果たし、2026年北中米W杯までの次の4年間の続投が決まったことで、通算8年間監督を務めることとなっています。また、2023年にアジアサッカー連盟からアジア年間最優秀コーチ賞(男子)を初受賞しています。
日本の数多くの選手が海外のトップチームに所属するようになり、Jリーグで活躍する選手も含めてその中から代表を選び、さらにチームを作っていくプロセスは多大なデータ分析が必要になります。そのために『コーチ陣などスタッフとの連携を大切にしている』と森保監督はコメントしています。そして、次の北中米W杯では世界一を目指すと宣言するようになりました。『決して楽な試合などないアジア予選一戦一戦を、応援する日本中の皆さんと共闘していきたい。そして日本の皆さんに勝利を届けて少しでも元気になってもらいたい』と語っています。森保監督は、長崎で育ち広島でプロになったその両都市での被爆の歴史も強く感じています。広島での監督時代には試合前に原爆ドームを訪れ、今サッカーを出来ることの幸せを感謝して試合に臨んでいました。日本代表のリーダーは、チームを率いるとともにサポーターをも率いて、サッカーを通じて世の中に力を与えているのだと思います。
*FIFA ワールドカップ
森保一監督の経歴
出所:各種資料を基にあおぞら投信が作成。