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No.587 日本版ビッグバンから自らの改革へ ―1985年プラザ合意から40年 ③ ―
今週の一句
"黒船を 見れば驚き 恐れるか 改革するなら 自らを見よ"
1985年のプラザ合意も含めて、1980年代から1990年代の日米交渉の中では、金融開放と資産運用業の展開は大きなテーマとなりました。特に「金融」、「資本市場」、「保険」の分野については、米国から強い圧力がありました。それまでの日本市場の閉鎖性を是正し、米国の金融機関が参入できる環境を作ることが求められていたのです。1984年の日米円ドル委員会で金融・資本市場の自由化方針を明確化して、為替管理の自由化や外資金融機関の参入促進が決まり、翌年のプラザ合意で円高が一気に進行、さらに1990年代前半の日米金融協議で証券、投信、保険の規制緩和(米系金融機関に対する日本市場開放)が求められ、1990年代後半には日本版ビッグバン(1996年~)の市場自由化、金利自由化、運用の多様化が進んだのです。
資産運用業においては、米系の資産運用会社が日本の資産運用業界に参入し、多様な運用戦略が拡がっていったのです。この間にディスクロージャーの強化や信用格付機関の導入など周辺業務にも展開が見られました。このように外資参入を通じて競争原理が生まれ、規制緩和と市場メカニズムの発展に繋がり、資産運用業が保護的規制の時代から、市場競争と専門性の時代へと移行していったのです。
ただし、市場は外資に開かれて競争原理が持ち込まれたものの、国内における大切な市場参加者である個人と企業の間に広く意識改革が進んだのか、というと疑問が残ります。明治維新も外圧から変革へ踏み出し、昭和から平成にかけても外資の参入で変革へと進まされたことの歪みが生まれてしまったとも言えるのです。すなわち、なぜ変わらなければならないかを銀行を中心とした金融人たちが自分で考える力は生まれたのか、ということが重要なのです。特に資産運用業は、人の成長から企業の成長への展開をいかに進めるかを国策として取り組むことが大切であり、それはそもそも人の教育からの課題となるのです。今こそこれからの国造りのために自らの改革を考えるべきなのです。
日本版ビッグバンの概要
出所:金融庁HP「金融システム改革(日本版ビッグバン)とは」を基にあおぞら投信が作成。