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No.630 金融政策の限界と市場参加者の自己責任 ― 金利のある世界までの時間 ①―
今週の一句
バブルとは 自律と自立を 失いて 自己責任すら 放り出すなり
日本は『金利のある世界に戻った』と言われています。これは1990年代後半から続いた『金利のない世界を作ったことの歪み』の修正であるとも言えます。すなわち、本来は市場が持っている金利機能が、長期間に渡って極端に抑制されていた状態から脱しつつあるということなのです。では、約30年間に及ぶ『金利のない世界』は何をもたらしたのでしょうか。
1989年12月29日、3万8,915円87銭を記録した日経平均株価に見られるバブルのピークから、1990~1994年の株価と不動産価格の下落、その後の住宅金融専門会社問題などから、1995年9月に公定歩合が当時の史上最低水準である0.5%まで引き下げられました。その後1997~1998年には北海道拓殖銀行の経営破綻、山一證券の自主廃業、日本長期信用銀行・日本債券信用銀行の公的管理など、金融システムの危機を迎えました。そして1998年9月には政策金利が0.25%まで引き下げられ、さらに1999年2月には『無担保コール翌日物金利を事実上ゼロ%へ誘導』という、いわゆる“ゼロ金利政策”が始まりました。当時の速水総裁のコメントでは『デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで(ゼロ金利を続ける)』という時間軸も示され、長期金利の引き下げを意図していたことが見られたのです。ただし、このとき筆者が唱えていた『金利の低下による景気回復という通常の金融政策は効かない状況である』という点は、その後の歴史が示しています。
さらに2000年8月の早すぎたゼロ金利解除の直後にITバブル崩壊を迎えて、2001年3月には世界的にも先駆的な量的緩和政策(QE*)の導入へと進みました。すなわち1950年代から30年あまり続いた戦後の高度成長が終わった後、金融システムも含めたバブル経済では、自分たちの本質的な価値を見失っている企業も数多くあり、そのような経済状況の中では、金融政策の限界を知るべきだということなのです。なぜならば、市場の参加者自身が自己責任を問わない限り、次のステージには進めないからです。その意味でも、昭和から平成へと移る中での日本経済の課題は何だったのかについては、まだ明らかにされていないと考えます。なぜならば『マーケットの見方』を想像することが経営者の仕事であることを、未だに身につけていない人がいることに表れているからです。そしていよいよ時代は新たな局面に入っていくのだと考えます。
*QE(Quantitative Easing:中央銀行の行う量的金融緩和政策)
基準割引率および基準貸付利率(従来の「公定歩合」)とTOPIXの推移
(1984年12月末~2026年8月末)

出所:日本銀行、Bloombergのデータを基にあおぞら投信が作成
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